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私は、不登校・うつ症状で大学を2年留年した後、卒業しました。当時、留年仲間がおらず苦労したので、同じく留年してしまった人の為にブログ作りました。 私の卒業後…日雇い派遣→就職→心身壊し退職。知人の所でバイトしつつヘルパー2級取得→保育士試験受験。結果は不合格。


by ryu_nen
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なぜ卒業しなかったのか。

今思えば、現役卒業時に保留単位をあわせれば、私は卒業単位をそろえていた。
だから、卒業に手が届かないということは無かった。そういう点で留年は私が選んだとも言える。じゃあ、なぜ卒業しなかったのだろうか考えてみた。

①社会に出る不安があった。これがあると思う。こんな就職先も決まってない状態で卒業してもどうなるかわかったものではない。私は社会に出るのが怖かった。今も怖いけれども。

②この歳になるまで、親やまわりのいうことをよくきいてきたので、自分の中に「卒業する」という自主的な気持ちが無かった。「やらされてる感」があり前向きに進路を選べなくなっていた。

③自分の勉強不足感があった。まだ自分の問いに答えがでていない。自分の学問的な問いを追求したいという意識があった。が、これもやりたい反面、「やらなくちゃ」という「義務感」もあって、やっていてもイライラするばかりだった。本当にやりたいことではなかったのだと思う。いい子にみられる自分がほしかっただけだと思う。

④ずーっと小学校から、「自分が本当に何がやりたいのか」をみつめてこなかった結果。やりたいことがあってもいい子でいたいという気持ちや、まわりの人に変な目で見られたくないという気持ちがあり、世間体や見栄えを優先していた。だからいつも自分は犠牲になってるような気がして、不満だらけだった。このまま親がしいた人生を歩いていくことへの限界が留年という形で出たのだと思う。

⑤自分喪失。自暴自棄。疲れすぎて傷つきすぎて、それが深くなりすぎて立ち上がれないところまできていたんだと思う。もっと早めに無理せず休んでおけばよかったと思う。

こうやってみると私にとって「留年」は自分を取り返す旅。
期待に応える代わりに、惜しみない愛がほしかったことが伺える。

そんな今は、義務感や世間体。
まわりの期待に応える生き方をやめようと思った。
そんなことして、相手を喜ばせても、自分は犠牲になったような気がするし、楽しくないから不機嫌になってくる。その不機嫌さは必ず相手にも伝わる。

今は自分がやりたいと思ったことしかやりたくないって今は思う。
そうでないと、私は自分が犠牲になった代価を払ってくれない親に、先生に、社会に恨みの感情を強くしていくだろうから。

「やりたいことだけする」なんて、もちろんできないだろうけれども、
やりたいことが一番多くできるような人生がいいと思う。
そしたら、私は幸せだろうし、
そういう場を与えてくれたまわりの人にも感謝の気持ちでいっぱいになると思うから。
by ryu_nen | 2005-07-27 16:18 | 留年するまでの私